今日の暗算問題コーナー
1、69、62 、4
合計を求めよ
答えは最後に(ちなみに私はミスりましたw)
原油チャート眺めてると大震災との関係に気づく。
上の画像を見ると
1、1995年阪神淡路大震災を境に原油上昇
阪神淡路大震災は1995年の1月であった。画像からわかるように阪神淡路大震災後少しのタイムラグを経て原油価格は、2008年にかけてひたすらに急騰した。以降高止まり。
2、2011年東日本大震災を境に急反転
また311の時は、発生を境に原油は逆に下落トレンドを形成して、なんと最終的にマイナス価格まで到達した。
3、原油価格≒中国市場
原油価格は実は、中国の成長と重なる。当然といえば当然である。中国の莫大な需要がそのまま原油価格を左右するためだ。これが話のキーポイントとなる。
4、日本の名目GDPが高値更新しなくなった位置は二つの大震災
日本の名目GDPが高値更新がぱたりと止む時点が2地点ある。一つ目が1995年。
もう一つ2011年。この2地点が日本の名目GDPの足踏み状態を作っていた。そしてその二つの年こそが、大震災が起きた年である。
5、日本の震災リスクが中国を成長させた
かつて日本が世界の工場を担って、世界もまたそれをあてにしていたわけだが、1995年の大地震をきっかけに、日本の災害リスクを考えるのを迫られたであろう。そこで世界は、中国をはじめとする人件費の安い新興国に目をつける。リスクの分散の為に中国に世界の工場機能を移転することで、中国の急成長が始まったわけだ。日本の足踏みの正体とも。そして、中国の成長を原油価格が映す。
2011年の津波は、その流れを決定づけた。日本のシェアを奪って勢いづく中国の爆買いによって原油が高いもんだから、アメリカで起きたシェール革命で掘り出される割高の原油も採算がとれるようになる。熾烈な産油国のシェア争いで原油は急落した。
以上がチャートから読み取れることだ。
6、リスク分散は機能しなかった。
このように日本の震災が中国という眠れる獅子を叩き起こすことで、世界の構造を決定づけてきた。しかし、思うに世界は気づいてしまった、リスク分散で日本から工場を移転したが、リスクの種類が変わっただけだったと。
7、日本の災害
むしろ日本の災害が、世界の工場としての才能の源泉だったりする。災害そのものの存在が、それに対抗するための技術力等を生む動機を生んでいるためだ。災害による損失は、そのままインフレに化ける。インフレといつも隣り合わせにあることで、抗体ができる。そうやってかつて縄文人が災害とともに歩んで技術を身につけたのであろう。ときには災害(破局噴火)が、日本を住めない土地にすることで縄文人が散り散りに避難してその技術が世界に拡散されるということが起きる。工場移転は、工場が散り散りに避難した結果なので、同じことが起きているのだ。技術を生んでは世界に拡散するのが日本列島の災害の機能なのかもしれない。
正解は156136